「アスリート第一」から見えてくる、日本のスポーツ観戦文化

先日発表された、新国立競技場の建設計画見直し案。その第1項の「アスリート第一」という基本方針に、どうしても違和感を感じてしまうのです。現在の日本にも数多くのスタジアムが存在していますが、その中で、スポーツを「観戦」することに、徹底的にこだわったスタジアムがどれほどあるでしょうか。


そのほとんどが、陸上と球技の「兼用スタジアム」。傾斜が緩く、屋根が無いのは当たり前。一番見やすいとされる中央の座席を潰して、聖火台やスコアボードを配置している所まであります。この構造のスタジアムが珍しくない所に、スポーツを「見る場所」ではなく、「する場所」としての考えが見えてくるのです。


映画を見るなら映画館、芝居を見るなら劇場、そしてスポーツを見るならスタジアム。当然そこでプレーをする、アスリートが主役なのは間違いありません。しかし、映画館や劇場を造る時のコンセプトが、「役者第一」となっているでしょうか? とことん考えられているのは、見やすさ、臨場感、快適性、そして何より「お客様第一」の考えなのではないでしょうか。


課題となっている「サブトラック」の問題でも、観戦者にとってはどうでもよい問題です。芝居を見に行く人が、その劇場に「控え室」があるかどうかを気にする人はいません。建設費用や、外観のデザインの話ばかりが聞こえてきますが、中身の見やすさを追求する声が、ほとんど聞かれないのも寂しいばかりです。


映画館や劇場では「見やすさ」を追求されているのに、スタジアムがそうならない理由は、日本のスポーツ観戦文化の低さに原因があるのではないでしょうか。映画鑑賞と同じくらい、日常的にスタジアムでスポーツ観戦をする人が増えれば、良い環境を望む声も自然と多くなるかもしれません。


日本で最も歴史のあるプロ野球では、「陸上兼用野球場」の建設に、賛成する人はおそらく一人もいないでしょう。陸上トラック付きのスタジアムで、ワールドカップの決勝戦が行われていることに、恥ずかしさを感じている人も僕だけではないはず。ロンドンオリンピックのウェンブリー・スタジアムを見ていると、一層その気持ちが強くなるのです。


2020年の東京オリンピックで「おもてなし」をする相手は、「アスリート」なのか、それとも世界からの「お客様」なのか。いずれにしても「スポーツを見る場所」として、世界中から観戦に訪れた人達を、がっかりさせないようなスタジアムが出来ることを願うばかりです。